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創立者

創立者  聖 グイド・マリア・コンフォルティ 司教

聖ザベリオ宣教会は1895年にイタリアで創立されました。

私たちは、海外での福音宣教を使命とした宣教会であり、同時に修道会でもあります。

 創立者は北イタリア、パルマ市の司教、聖グイド・マリア・コンフォルティです。

 宣教活動の手本を残した聖フランシスコ・ザビエルにあやかり、「聖ザベリオ宣教会」という名前にしました。(イタリア語で、ザビエルは「ザベリオ」と発音します)

 創立者、聖コンフォルティは1865年3月30日、パルマ市で生まれました。子供時代、十字架につけられたキリストに話しかけられるような霊的経験をしました。「十字架につけられたキリストは私に語りかけておられるように見え、そして使命を下さった」と聖コンフォルティは後に語りました。

17歳でパルマの神学校に入り、22歳の時、司祭に叙階されました。その後、同神学校の教師、そして副学長となり、のちに教区の司教補佐に任命されました。聖コンフォルティはキリストを知らない人々に福音を伝えることを人生最高の目的とし、1895年に聖ザベリオ宣教会を創立しました。自分自身は健康問題のため宣教地へ赴くことができなかったため、その同じ熱意を共有する仲間を集め、キリストの福音をイタリア国外で宣教することを目的とする会を立ち上げたのです。

1902年に北イタリア、ラヴェンナ市の司教に任命されたものの、健康上の問題で2年後、辞任せざるを得ませんでした。1906年、出身のパルマ市の司教に任命され、その後24年間にわたり、教区の霊的な司牧のために尽力しました。同時に、聖ザベリオ宣教会総長として、最初の仲間たちを中国に派遣しました。(宣教活動として最初に中国を選んだのは、私たちが宣教師の手本とする聖フランシスコ・ザビエルが、日本での宣教活動の後、中国での宣教を試みながらも、それを実現できないまま帰天したことからです。)

1928年、年齢と病気を省みず、列車での長旅を経て、中国で宣教活動に従事していたザベリオ会のメンバーを訪問しました。 1931年11月5日、パルマで息を引き取りました。

2011年10月23日、教皇ベネディクト十六世は、コンフォルティ司教を列聖し、聖人とされました。当初、中国でのみ活動していた聖ザベリオ宣教会は、共産党が政権を掌握した際に迫害を受け、国外へ追放されました。その後、中国から日本へ渡り、続いて他のアジア地域、アフリカ、そして南アメリカへと宣教活動を広げていきました。現在の宣教活動については「世界へ」で紹介されています。

 
18650330
18880922
18951203
18990304
19900424
19020611


19041006

19071212

19280922


19311105
19960317
20111023
イタリア北部パルマ市で生まれる。
司祭に叙階。
ザベリオ宣教会を創立する。
最初の会員二人を中国へ派遣する。
パルマ市郊外で本部・神学校を建設。
ラベンナ教区の司教任命を受けて叙階される。
この日、自分の一生を宣教活動に捧げる誓願を立てる。
病気を理由にラベンナ教区長を辞任し
パルマのザベリオ宣教会本部に退く。
パルマ教区長になる。社会的、宗教的な困難の24年間、心身のすべてを司牧に注ぐ。
63才の病身でありながら医師の反対を振り切って中国で活動している会員たちを励ますため、99日間の視察に赴く。
66才でパルマにて帰天。
教皇ヨハネ・パウロ二世によって列福。
教皇ベネディクト十六世によって列聖。