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日本での宣教

  • 1949年1月

    当時の駐日ローマ法王庁公使パウロ・マレフ司教のもとに次のよ うな短い手紙が届いた。『中国の国内情勢は悪く、宣教の準備を 終えた若い会員が仕事につくことはできません。ザベリオ会の新 しい宣教地を求める今、ザビエルがその活動を展開した日本に、 私たちの目を向けております。しかし、多くの子供に恵まれた若 い家族のように、会には働き手はたくさんいますが、その活動を

    支える経済力はいたって乏しいものです...』 当時大阪教区長であったパウロ田□芳五郎司教は、法王庁公 使の相談を受け、ザベリオ宣教会の願望を受け入れた。

  • 1949年12月

    田口司教は、神戸に着いたばかりの会員3人を岸和田教会の佐 々木神父のもとに案内した。岸和田地区には、岸和田教会の他、 浜寺公園の片隅に小さなチャペルしかなかった。その後、泉佐 野、岬、貝塚、和泉、泉南そして熊取教会と次々に新しい共同体が できた。

  • 1950年3月

    福岡教区長ドミニコ深堀仙右衛門司教の願いに応えて、サレジ オ会の手から宮崎地区の世話を引き受ける。地区には宮崎と都 城の教会の他に、高鍋、延岡と田野の小さな教会があった。その 後、日向、西都、日南、小林、南宮崎、串間と次々に教会ができた。

  • 1951年7月

    国際都市である神戸市に管区本部を置く。

  • 1958年4月

    鹿児島教区長ヨセフ里脇浅次郎司教からの強い要望により、大 隅地区に入る。ゼロからの出発だったが、垂水の小さな教会を拠 点に.、鹿屋、星塚、志布志、大根占、国分、種子島、屋久島の教会 が建設された。 地区内の福音宣教の足がかりとなったのは、鹿屋市の星塚教 会に集う敬愛園のハンセン病患者の人たちだった。彼らの祈りと 信仰は、ザベリオ会の宣教師や地区の諸共同体の宣教活動を支 え。今に至っている。

    日本での宣教活動が40余年を経た現在、各教区の指導の元で従 来通り小教区での宣教司牧やカトリック幼稚園の仕事を引き受 けながらもザベリオ宣教会は、社会正義、カトリック教育や諸宗 教の対話交流などの分野で、福音宣教の新しい道を探っている。