
イエス様のことを愛される皆様へ、
序
木々の若葉が萌え立ち、葉桜の色も日々濃くなってきて、そこはかとない暑さが感じられる頃としてこの時期は薄暑(はくしょ)と言われていました。しかし、最近は気候の変動で寒暖の差やその推移もかっての常識どおりではないようです。しかし、この時期になると更衣(ころもかえ)をおおかた整え、すっきりとした軽装となり身も心も軽やかに野や山へくりだしたくなります。夕暮れの散歩路は吹き来る風の涼しさが嬉しい薄暑の頃と言えます。また、米などの穀類が秋に実るのに対し、麦は初夏の頃に黄熱するので、それを「麦の秋」とよんでいます。古い歌には「麦の秋風」として出てきます。さらに陰暦4月の異名を麦秋といい、一面に熟れて輝く明るさはこの季節の風物詩といえます。このような美しさで満たされている私たちの目はイエス様の弟子と同じように、上に向かって天国に昇るイエス様の姿を見つめています。今度の主日はイエス様の昇天を迎えることになりました。私たちはこの神秘的なできごとを感想しながら大きな喜びの中でお祝します。主の昇天は、当時イエス様と弟子たちの使命を示される出来事ですが、弟子たちは宝物のようなイエス様のみ言葉と贈り物のように聖霊もいただいて、福音宣教のために全世界に羽ばたきます。当時、イエス様に従った者たちがそれぞれの異なった背景の人であっても、イエス様は唯一の教会であることを実感します。
マルコによる福音 16・15-20
主の昇天の典礼から、勧められた個所はマルコ福音書の終わりのところです。当個所で強調する典礼的な観点は弟子たちの派遣とイエス様の指導です。イエス様が全世界に向かって人々の救いを望みながら、福音を宣べ伝えるために弟子たちを派遣します。福音、福をもたらす音(言葉)それはイエス様自身、イエス様の言葉、イエス様の行いを告げ知らせることなのです。宇宙万物に属するどんなものでも神秘的な音で響き合っていますから、私たちの目さえ開ければどんなところにもイエス様の存在があり、イエス様がその心を語りかけてくださいます。その言葉は人の心に信仰を起こし、洗礼の時に明らかに神秘的に現れます。神様の言葉はイエス様自身です。それを拒むものは神様自身を拒んでいます。神様を拒むと自ら大きな喜びを失い罰の淵に沈みます。み言葉を受け入れると、神様の働きによって色々な神秘的なしるしが伴います。その見事なしるしは福音書の中にあり、それを良く知ることができれば人生の迷子になった者、心が病んでいる人も治る方法が分かります。清い心でない人、他人に害を及ぼすつもりの人に係わっても害を受けず、心や体の病気の人が元気を取り戻すことができます。イエス様自身である「言葉」は派遣された弟子たちと共にあって人の救いを探し求めています。このようにしてイエス様が天に上げられて、御父から授けられた目で見える使命を現わしています。イエス様が自分に従った者たち、自分の弟子となった者たちをも一切見放すことなく、むしろいつも弟子たちが宣教する時に彼らと一緒にいると約束されました。イエス様の使命の完了は同時に弟子たちの使命の始まりになっています。私たちの目の前でイエス様の姿が消えると同時にイエス様が自分の弟子たちに常に共にいる、働くと約束されたように、いつでもどんな時でも、どこででもどんな人にも、そのすぐそばにおられることを知らせてくださいます。モヨリ神父