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いのちの名のうちに

いのちの名のうちに
クラウディオ神父

三位一体の主日 – A年

いのちの名のうちに
「父と子と聖霊の名によって、すべての民を弟子にしなさい。」(マタイ28章)
心に灯ることば

山の上で、弟子たちはイエスを見た。 ひれ伏す者もいれば、疑う者もいた。しかしイエスは、そのどちらにも近づいてこられた。
三つの名によって神は現れ、 愛する父、救う子、生かす聖霊として、 深い交わりのうちにおられる。その交わりへと、わたしたちも招かれている。
「世の終わりまで、共にいる。」 この約束こそ、すべての始まり。

私たちの日常の中に

信頼して歩む: 疑いを抱えたまま近づいてきた弟子たちのように、完璧でなくても主の前に立てることを受け入れる。
名を大切にする: 洗礼の時に呼ばれた「父と子と聖霊の名」を思い出し、自分が愛されて存在していることをもう一度感じる。
出かけていく: 三位一体の神は「内にとどまる」神ではなく、「外へ向かう」愛の神。その流れに乗って、今日も誰かのそばへ歩み出す。

一緒に歩む宣教のまなざし

三位一体の神は、孤独の中に生きない。 父・子・聖霊は、愛し合い、送り合う交わりの神だ。
宣教も同じ。 一人の力ではなく、 共に祈り、共に出かけ、共に証しする。
「すべての民を弟子に」という言葉は、 遠くの誰かへの命令ではなく、 今日出会うすべての人への、 愛のまなざしへの招きだ。

短い祈り

三位一体の神よ、 あなたの愛の交わりに わたしたちを招いてくださり、ありがとうございます。
疑いを持ちながらも あなたのそばに近づく勇気を与えてください。
すべての人のもとへ 出かけていく教会でありますように。
そして世の終わりまで、 あなたが共にいてくださることを信じ続けられますように。
アーメン。

三位一体の神を祝うこの日は、私たちの信仰の中心にある「神とは誰か」を静かに思い起こす日です。今日の聖書は、難しい説明をしません。神学の言葉も使いません。ただ一つのことを語ります。神は、愛してくださる方だということです。
父は世界を愛し、子はその世界を救い、聖霊はその世界を新しくします。三位一体とは、三つの愛の動きが一つになって流れている姿です。

ロシアの修道士ルブリョフが描いた「三位一体」のイコンを見ると、三人の天使が静かに食卓を囲んでいます。互いに向き合い、深い優しさで見つめ合っています。そして、その食卓には一つの空席があります。まるで神がこう言っているようです。「ここに座りなさい。あなたもこの交わりの中に入りなさい」。
三位一体は、理解するための謎ではなく、招かれるための場所です。

今日の福音はこう語ります。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」。
“世”とは、きれいな世界ではありません。弱さも、争いも、涙も、迷いもある世界です。その世界を、神は愛されたのです。
三位一体の神は、遠くから見ている神ではありません。私たちの人生の中に入り、寄り添い、支えてくださる神です。

父は受け入れ、子は共に歩み、聖霊は力を与えます。そして私たちは、この神の交わりに招かれています。
三位一体は、神がどのような方かを示すだけでなく、私たちがどのように生きるべきかを教えてくれます。
競争ではなく、支え合い。
孤立ではなく、つながり。
不安ではなく、信頼。

世界が分裂しやすい今、三位一体は静かに語ります。
「違いがあっても、共に歩むことができる」。
「一人ひとりが大切にされる場所がある」。
「あなたも、神の交わりの一部なのだ」。

今日、私たちはこの神の食卓に招かれています。父のまなざしに包まれ、子の優しさに導かれ、聖霊の力に支えられながら、私たち自身もまた、小さな“交わりのしるし”となって歩むことができますように。               (Nabo55)