年間第11主日 – A年
羊飼いの目で見る
「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果てているのを見て、深く憐れまれた。」(マタイ9章)
心に灯ることば
イエスは群衆を見た。 ただ見たのではない。 腸が痛むほど感じた。疲れた顔、 行き場を失った心、 導く人を求めてさまよう歩み ―― その一人ひとりに イエスの目は止まった。「刈り入れは多いが、 働き手が少ない。」嘆きではなく、招き。 その言葉は今日も わたしたちに届いている。私たちの日常の中に憐れみの目を育てる: 毎日出会う人を、急ぎ足で通り過ぎない。疲れた顔、孤独な背中に、イエスのように立ち止まる心を持つ。祈りから始める: イエスは弟子たちを派遣する前に、まず「祈りなさい」と言われた。行動の前に、神に働き手を求める祈りがある。受け取った恵みを渡す: 「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」。信仰、愛、希望――わたしたちが受け取ったものは、分かち合うためにある。
一緒に歩む宣教のまなざし
イエスは一人で刈り入れをしなかった。 十二人を呼び、名を呼び、 遣わした。宣教師も一人では行かない。 共同体から生まれ、 共同体に支えられ、 共同体を作りながら歩く。日本の地で出会う人々も、 心のどこかで羊飼いを求めている。 その渇きに気づく目、 そばに行く足、 癒やす手―― それがわたしたちに委ねられている。
短い祈り
主よ、 あなたはわたしたちを見て 深く憐れんでくださいます。その同じ目で 周りの人を見ることができますように。疲れ果てた人のそばに行き、 あなたから受けた恵みを 惜しみなく渡せる 働き手としてください。刈り入れの畑に、 今日もわたしたちを送り出してください。アーメン。