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主の奉献
モヨリ神父

ルカ2・22-40
イエス様の奉献の祝日にあたり、そのエピソードを語っている福音書のみ言葉を深めるようにしましょう。神殿でとっても素朴な形でいいかえれば貧しい形で、山鳩一匹、と家鳩のひな二匹で生贄として幼いイエス様が長男として神様に捧げることにあたって感動します。よく見てみれば当福音書は人間の弱さ、人間の小さな立場を歌う言葉ですが当時に神様の偉大な優しい愛の計画を打ち明ける出来事になっています。神殿でイエス様の奉献は儀式だけではなく、キリスト信者が行う秘跡のようにしるしや儀式だけでもなく神様のみ旨の計画を実現する出来事だったと思います。イエス様は弱い人間の姿の中で神様の姿、神様の心を再び見せられています。この時こそ私たちにより身近な人たちの姿でイエス様の神殿内の奉献に立ち会ったシメオンとアンナのことをすこしでも検討するように考えましょう。
シメオンとアンナはイエス様に救い主として待ちかねたものたちでした。シメオンは救いの光を待ちかねて深い信仰の目の前に救い主を見たとき大きな感動に満たされました。ご自分の人生の目標、ご自分の心の望、イスラエルの栄光を見て大きな喜びを味わいました。神様をたたえました。たしかにシメオンが心の中で感じたのは神様はなされた約束は一度も目逃さないからいつか実現されるから、それを待ちかねていました。アンナもお年で進んでいだ女性としても、弱い立場の中で、小さな部族にぞくしていて、未亡人であって、当時の社会の中で一番低い立場に立ってご自分にとって人生の目標は一つだけでした。救い主の出会い、それを心身で期待していたあこがれでした。その出会いは実現した瞬間でどれほど大きな喜びだったか想像が出来ます。さてシメオンとアンナの当時の思いの中でもキリスト信者の心を見抜くことが出来ると思います。イエス様は人間の人生の光、すぐい、希望を満たす方です!!キリスト信者は弱い立場の中で過ごしても、イエス様を期待しながら、その出会いは自分の人生を大きな喜びと光で満たされる時になります。モヨリ神父