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C年 年間第6主日

C年 年間第6主日
モヨリ神父

寒の内の時季に汲んだ水を「寒の水」といいます。

厳しい寒さで冷たさを増した水は、徴生物や雑菌などが繁殖しにくく、このため昔から「冬中の水は薬になる」と言われています。特に寒の入りから9日目に汲んだ水を「寒九(かんく)の水」といい、これを飲むと一年間を無病息災で過ごせるといいます。また、澄んだ清らかな寒の水は、品質の良い醤油や日本酒の製造などにも利用されています。また「三寒四温」とは、冬期において中国、韓国で寒い日が三日間続くと、その後四日ほど温かい日の続くことがあります、この気象の変化が三寒四温と言われてきました。日本でも周期的ではないが、低気圧が通過する際はそれに似たような現象が起こります。さて、キリスト信者になって何と幸せになったなあ!と言える人がいます。まず、神の赦し、慈しみと愛に癒された者になり、そのため喜んでいるので幸せなのではないでしょうか。そしてイエス様に従った者は、いつも神秘的な光で照らされた人生の一瞬一瞬の出来事が、神様の作品のように見えるのです。そしてキリスト信者は自分の努力によって神様に近づくのではなく、神様の独特な愛によっていろんな時に、特別に祈りの中で感謝を表す時に共に近づき合い一緒に暮らし、一緒に歩みます。それを実践し実感する者が幸せであることを感じています。
それから、巡礼をすることはどんな宗教の中でも独特な行事ですが、どうして巡礼は人間にこんなに好まれているでしょうか。仏教、イスラム教、ヒンズー教、キリスト教などにあります。仏教では八十八ヶ所を回る人はお遍路さんといい、かぶっている笠の上に「同行二人」と書いてあります。さて、巡礼は人生にたとえられますが、人生の中でだれかと歩もうとするのはとても楽しい時ではありませんか、イエス様は私たちにいくつかの約束をしてくださいました、その中に「いつもあなたがたと共にいる」と。イエス様と一緒にずっと歩む、このように貧しく弱いキリスト信者は幸いではないでしょうか。
ルカによる福音書6・17、20-26
聖書の専門用語である「しあわせ」という単語の意味は「神の救いを喜んで受け入れる人」になっています。すなわち「神様に愛された人」です。たしかに聖書の言葉の意味は社会的な意味の「幸せ」つまり「嬉しい、運がいい」などに、はずれているところがあります。今日の典礼で第一朗読のエレミヤ預言者の個所とルカの福音書の比較は、私たちに生き生きしたメッセージを伝えてきます。ルカは幸いな人に不幸な人の生き方を比べますが、エレミヤ預言者は同じように神様に祝福された人に、呪われた人を比べていす。同時に聖書の専門用語として「祝福された者」の意味は、「神の命を与えられた者」と受け取れば、今日の典礼では第一朗読と福音書もお互いに大きな光で照らされて、神に祝福された者と幸いな者は、同じように神様にとても大事にされた者になります。だから幸せな人は貧しい人であっても、泣いている人であっても、迫害された人であっても神様の命と愛を受ける人になり、喜びで満たされた人になっています。マタイの山上の話とちがって、ルカによるイエス様の話の特徴をみれば、貧しい人は実際に飢えている人で泣いている人です。さてイエス様はこのような人に向かって、あなた方の救いはすでに準備されているとおっしゃいます。つまりあなた方は神の国に属する資格を持ち、その中で慰められ満たされています。神の国には自分の希望に答えがあり、救いはそこだけにあります。ルカの福音書による最後の「幸せ」とは預言者たちと同じように、イエス様のために迫害を受けた人が、イエス様に対して実践的に自分の愛を示すことで神様に属する者となることです。モヨリ神父

*作者の絵 寺脇まなせ