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道を開く水

道を開く水
クラウディオ神父

主の洗礼 – A年

道を開く水
「イエスは洗礼を受けるとすぐ、水の中から上がられた。そのとき、天が開き、神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのをご覧になった。」
(マタイ 3:16)
心に灯ることば
主の洗礼は、降誕節の終わりであり、イエスの公の歩みの始まりです。
それは静かな儀式ではなく、私たちの歴史のただ中に身を置く行為です。
罪人の列に並び、ヨルダン川の水に身を沈めるイエス。
必要があったからではなく、寄り添うために。
天が開き、霊が降り、父の声が響きます。「これはわたしの愛する子」。
イエスの歩みは、この受け取った愛と使命に根ざして始まります。
私たちの日常の中に
私たちもまた、しばしば忘れてしまう洗礼を生きています。
それは「あなたは愛されている」という、行いより先に与えられた声。
神のいのちに浸され、他者への贈り物として送り出される恵み。
洗礼を思い起こすとは、ひとりで歩いていないことを思い出すことです。
霊は先立ち、寄り添い、支えてくださいます。
今日という日もまた、天が開き、あの声を聞くヨルダン川となります。