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いやしの傷あと

いやしの傷あと
クラウディオ神父
復活節第2主日(トマス)
いやしの傷あと

トマスは「疑い深い弟子」ではありません。
本当に主に出会いたいと願う、誠実な友です。
キリストの傷は消えず、私たちを招く扉となります。

みことばの味わい

復活の日の夕方、弟子たちは家に閉じこもっていました。
鍵のかかった扉は、彼らの恐れと混乱をそのまま映しています。
その真ん中に、主がそっと立たれます。
責めることなく、ただ「あなたがたに平和があるように」と語りかけます。

その場にトマスはいませんでした。
弟子たちの証言を聞いても、心は追いつきません。
「見なければ、触れなければ…」それは不信ではなく、
本物の出会いを求める誠実さです。
八日後、主は再び来られます。トマスのために。
隠すことなく、傷あとを示し、「触れてみなさい」と招かれます。
その瞬間、トマスの心は開かれ、「わたしの主、わたしの神よ」
という深い信仰の告白が生まれます。

日々への問い
  • 私の中で、まだ閉ざしたままの傷はどこだろう。
  • 説明よりも「平和」を必要としている関係はどこだろう。
  • 今日、誰が「本物の出会い」を待っているだろう。

信仰とは、傷を隠すことではなく、キリストに触れていただく勇気です。
そこから、新しいいのちが始まります。

祈り

復活の主よ、
閉ざされた心の中に入り、
あなたの平和を注いでください。
あなたの傷あとに触れながら、
自分の弱さの中に働く
あなたの愛を見いだせますように。
トマスのように、
誠実にあなたを求める者としてください。
アーメン。